第7代「フェアレディZ」の登場

第7代目「フェアレディZ」が今年6月発売開始です。

私にはイエローのフェアレディZには特別な思い出があります。初代S30型は私が最初に勤めたD産業デザイン研究所の多田愛実所長(後の神戸芸術工科大学プロダクトデザイン学科教授)の愛車でした。時代は高度経済成長期の田中角栄内閣の時代で私らペーペーの大部屋スタッフですら1年で所得が倍になるという今では考えられない時代でした。

これがその初代S30型で今回の第7代に最も近いとされるドアミラーの英国モデル。

この2年前の1967年にボンドカーで一躍有名になった2000GTをトヨタが出して、日産としては吸収合併したプリンス自動車のスカイラインやフェアレディや世界記録を塗り替えて行ったR380の技術でなんとしても本格スポーツカーを出して欧米市場に出たかった時代でした。

初代フェアレディZはロングノーズ、ツーシーター、サイドミラー(英国仕様)のバランスがキレイです。

私が勤めたのはデザイン会社で中小企業のデザインも大手家電メーカーの仕事もしました。中でも特別だったのが当時の松下電器ラジオ事業部の仕事でした。担当は社内で花形の塩崎先輩でした。ラジオの仕事はキツくて毎回100枚200枚というアイデアスケッチを徹夜同然でマーカーで描いてハイライトのアクリル絵の具が乾かないうちに門真での会議に間に合わせるというものでした。

フェアレディZのメーター類は彫が深くてドライバー側に向いているので助手席からは見えません。だから今何キロで走っているのか分かりません。分からない方が身のためと多田所長に言われました。

1971年はまだFAXの無い時代で蕎麦の出前みたいに「今出ましたのでもうちょっとお待ちください。」と言いながらまだ絵を仕上げていました。そんな時に威力を発揮するのがフェアレディZで、多田所長がビルの下でエンジンをふかしているところに塩崎先輩がスケッチの束を抱えて乗り込むのをビルの窓から何度も見送りました。

暫くして塩崎先輩が退社されてイエローのフェアレディZの助手席にはスケッチの束を持った私が乗る事になりました。阪神高速が一律200円の時代で60km制限を120kmで走って阿波座の会社から門真までの15分を何度も経験します。都島あたりの高速カーブは右へ左へ凄い横Gでした。

歴代のモデル。Zのエンブレムが微妙に変わります。2008年からの6代目は友人が乗っていて馬力はありましたが重たくてキレは鈍かったです。

そんな思い出のフェアレディZ7代目は外観だけでなく俊敏さも直系であって欲しいです。

写真の文字では発売がこの冬となっていますが今年6月です。

世界中がEV化する中でなぜ今頃3リッターV型6気筒ツインターボエンジンなのでしょう。

私はZが日産の最後のガソリンエンジンのスポーツユーティリティカーであって、3年後に同じ外観で更に上回る性能のEVスポーツカーを出してスムーズにEV化を狙う作戦ではと考えますがいかがでしょうか。

久々の車の話題なのでおまけです。EVと言えば気になるのが2025年に新車投入が確実とされるアップルのEVです。ファブレスは間違いないので韓国や日本のメーカーが受注したという噂が飛び交います。さあ、果たしてどんな車でしょうか楽しみです。

 

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